假面の告白

あちらの作品とは関係ありません

自閉症スペクトラム

今日はうつの話を置いておき、別の話をしたいと思う。

先日の投稿から、心療内科に二度目の診察に行った。

初診の時に発達障害に関しても調べておきたいと思ったので、十枚前後の質問票をもらい家で書いて持って行った。

というもの、私は昔から人とずれていると感じることがあった。

 

例えば、三四人で会話をするとき、ほかの人は話している人の内容に同じ意味で理解しているのだが、自分だけその会話のペースについて行けず、何が面白いのかわからない、もしくは理解できないということがあった。それは今でも顕著にあるため、歳を重ねるごとに会話をすることに対しての恐怖心が募っている。

また、そのずれているところが、時にはクラスで笑いを引き起こす種になったり、あるときはいじめの原因になったりした。

これは自分の性格として、特徴として、そうなのだと言い聞かせていた。

その時分、小中学生のときだが、私は大人になったら自然にそういった社会的に見て異質な特性は時を経て均されていくものだろうと思っていた。当時、大人になる過程は離散時間的なステップアップのように想像していたものだが、いざ「大人」になってみれば、それは遙かに連続的な時間の流れでここまで着たような感覚である。

そりゃ、我々は何も一度寝たら一年後、十年後という離散時間的な時空に生きていないのだから、当たり前かと言われれば、どうしようもないのだが。

 

診察の話に戻すと、結果的に私は自閉症スペクトラムASD)という発達障害と軽度の注意欠陥・多動性障害(ADHD)があること診断された。ADHDのほうはスコア的には閾値よりわずかに上回っていた程度であるため、そこまで顕著に表れていないと思われる。ちなみに、ASDをもっている人の六割はADHDを併発するという報告もあるらしい。

ASDは少し前までの高機能自閉症アスペルガー症候群と呼ばれる類いの発達障害を総称したものとなる。現在の発達心理学の世界ではASDに統一されているらしい。というのも、先述したもの等は知的能力と言語発達との発達度合いで決まる「連続体(spectrum)」として定められるという考えが出てきたからであろう(自閉症スペクトラム障害 - Wikipedia を参考)。

ASDと診断されてどちらかと言えば気持ちは楽になっている。私の場合、社会的自立は行えているため、「非障害自閉症スペクトラム」となるわけだが、これは一種の特徴を明確にしてくれたと思えたわけである。いわば断片的な自分の仕様書が手に入ったような気持ちになった。

だから、私がうつ病になったのもそのASDがもつ特性によって引き起こされているのだと考えると、何故自分がこんなに捉えどころのないうつ状態になっているのかがわかる。

そうすると、ASDによってコミュニケーションが本質的に欠陥がある上で自分がどのようにしたら社会性を改善できるのだろうか?