假面の告白

あちらの作品とは関係ありません

儚い人生をどう楽観できるか

 先日、以下のような記事を見つけた。

anond.hatelabo.jp

 

その中に次のようなコメントを見つけた。

anond:20200314090900 

寿命は有限だから得た知識を使える残り時間に価値があって若いうちに到達しないと評価できないんだよ

 私自身、学生の頃に勉強が得意でなく、無駄に遊び惚けていたのでこの意見には正直心に釘を刺されたような痛みを感じたわけだが、いまさら若さを取り戻して勉強をやり直そうと言ったって自分はきっとしないだろう。

 それよりも、この後悔のような念に苛まれるとき、あなたはどうやって精神を保ちなおすだろうか。「俺の人生終わったな...」と絶望感に浸り次の朝が来るのを待つのか、それとも「でも今の僕の人生は幸せだ」と気持ちを切り替えて生きられる人であろうか。

 自分は社会人になるまで前者の考え方だったので、自分の歩んできた人生は間違いだったと悲観することが多かった。しかし、社会人になってより人間のエゴとか裏面を目の当たりにして、さらに一時期はうつ病になって会社に行けなくなったけれども、今は学生の頃の自分より自分を受け入れられるようになったと思う。

 社会人を経験して思ったことは「有限の儚い人生をどのように楽観するか」が自身の幸福度に作用するのだということである。楽観の仕方も重要で会って、楽観することは怠惰になることではないということを強く主張しておきたい。単に「やらなくても、人に任せれば何とかなるや」と投げやることが楽観ではなく、つらいことがあったときにいかにして自分を励ませるかが楽観力だと思う。

 

 そういう意味で、現在自分の置かれている状況をどう解釈するかでその後の人生の振る舞いはきっと変わるのだ。

 

 やがて誰もがこの世を去り、同じ所へと行く。しかし、その儚さに憂いているのであれば、その分生まれてこなければわからなかった「人の優しさ」に包まれていた方が幸せではないか。人の悪い側面に目が行くのではなく、人の良い側面に素直に惚れられる人生のほうが何倍も幸せではないか。