假面の告白

あちらの作品とは関係ありません

博士号取得

以前、以下の記事で進路に悩んでいる旨を打ち明けた。

jacobtitor.hatenablog.com

実を言うと、タイトルにある通り、私はあれから博士後期課程に進学し、研究者の道を歩むことにした。そして、無事標準的な年限で博士号の学位を取得することができた。お世話になった人があまりに多く、自分が研究者として独り立ちするために生活面から研究面まで色んな支援を賜った。学位記が研究科長から手渡されるとき、嬉しいという思いだけでなく感謝の気持ちに満ち溢れて、涙が流れそうになった。改めて感謝を意を表したいと思う。

博士課程ではしんどい、つらい思いも沢山経験し、やめたいと思ったこともあったし、このブログで思いを吐き出し続けたら楽になるんじゃないかと考えたこともあった。しかし、私はそれを書き留めることさえ気力が起こらないほど博士課程はしんどかった。

 

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先述した記事で進路に悩んでいた時、私は「後悔しない道を選ぶ」それだけを考えていた。このまま会社員で居ることももちろん大変なことであるが、アカデミアを選んだ方がもっと理不尽で報われない仕事がたくさんあることも十分知っていた。それでも自分が納得できる生き方ができるからという理由で退職届を会社に提出し、再び門をくぐることに決めたのである。

企業の研究者や技術者として働く道も十分考えられたし、実際に一般企業への就職活動も少ししていた。しかし、自身が研究を進めるうえでのモチベーションを深掘りしていくと、研究者や技術者と呼ばれる人たちには大まかに2つのタイプの人間がいるだろうと考えるようになった。

一方は、世の中の身近な問題解決への関心がベースにあって、それを解決するためにどんな技術があればそれを解決できるのか、という「課題ドリブン」思考の人間である。他方は、要素技術への関心がベースにあって、それらがどの身近な問題にどのようにしたら適用できるか、といったことや技術の拡張への関心が中心にある「技術ドリブン」思考の人間である。

私が観察してきた人と照らし合わせると、大学での講義や勉学の内容に興味を持って取り組んでいた人ほど後者の人が多い気がする。学部にもよるが大学で学ぶ内容は直接社会に役立つ知識や技術でないため、技術がどのように社会に使えるかという視点で物事を考えることが多いからであると考える。

私も例にもれず、理論を考えている方が性に合っていると思ったからアカデミアの道を進んだということに他ならない。

「世の中の問題を解決したい!」といったような世間が想像する「研究者像」とはある意味正反対の姿かもしれないが、自身がこの道で納得するまで歩んでみたいと思う。